雑記

泥論

最近、「泥のように働く」という言葉が一人歩きしている感がありますが、言葉だけが空回りしていて全く議論が成立していない気がして仕方がないです。

「10年は泥のように働け」「無理です」——今年も学生と経営者が討論
「IT企業はほんとに泥のように働かされるのか」——東大でイベント

私だっていきなり「10年は泥のように働け」とか言われたら「無理です」と即答したくなるし、記事で伝えられているニュアンス(実はこれも記者の主観が入ってます)のようにあたかも「文句一つ言わず言われたことをやり通せ」的なことを平気で押しつける組織なんかまっぴらだとも思うんですが、じゃあいきなり第一線でバリバリ仕事をこなせるかと言ったら、その人がよっぽど優秀か、それともよっぽど単純な労働でない限り無理なんじゃないでしょうか。

それでなくても、何か新しいことをしようとしたら”泥のように”とは言わないまでも七転八倒しながら一歩一歩前進することしかできないようなことは多々あるし、それでも”やっぱり駄目だ”となる時も来るかもしれないでしょう。

いずれにしても、大きな違いは「泥のように働く」か「泥のように働かされる」かということです。自分が主体か、相手が主体か。そして、自分が主体にさせてもらえるのか、もらえないのか。ここを見極める必要があります。

しかし、どんな環境かは入ってみないとわからないのも事実です。大体、誰もがうらやむ有名企業だって、やめる人はいっぱいいるんです。働いている職場に失望しか見い出せないところもあるでしょう。

そんな時には鏡の前に立って、鏡の向こうの自分に「自分はどうなんだ?」と問いなおしてみましょう。自分に向かって自信を持って返答ができるなら、辞めてしまえばいいのです。ほんのちょっとの時間です。その時間を持つだけで、全然違うと思いませんか?

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